教員。妊娠。出産。子育て。

高校教員として働く私の、妊娠、出産、子育て、勉強についての備忘録。

健診の日。考えていたこと。

 引っ越して、テレビを点けなくなってから2ヶ月。

 世間でどれくらい騒がれているのか想像するしかないのですが、新聞にも各所で取り上げられているし、連日テレビでも報道されているのでしょう。

 都議会ヤジの事件について、ここ数日、ずっと考えていました。

 自分が思うようなことはだいたい言い尽くされているような気がするのですが、こんなブログを書いている以上は、一言でもやっぱり自分の考えを書いておかないと気が済まないなあと思っていたものの、なかなか時間がとれずにいたので、健診の日だった今日備忘録として残しておきます。

 自分自身がもうこの事象に関して食傷気味なのですが、そんなことを言っていては絶対にこの国はよくならないし、嫌なことから目を背けてはならないと自分を奮起させてみます。

 私は、ヤジを飛ばされた都議のことも、飛ばした都議のこともよく存じ上げなかったのですが、とにかくこの事象は東京都の縮図を表していると思いました。都政ではなくて、都民の縮図です。そもそも政治の場に品位があるなんてことは誰も思っていないわけで、ヤジ自体を問題視するということは私は考えていません。国会議員でも大臣の職に就いている人でも、首相であっても元首相であっても、居酒屋の酔っぱらい程度のことを平気で公然と口にすることには慣れてしまっているし、(実際そういう発言は止まらないし、)そういう政党を圧倒的に支持している人しか選挙に行かないのが今の国民なのだからしょうがないとは思います。

 この際問題は、「居酒屋の酔っぱらい程度の人たちって、そういう認識なんだよね」ということが公然となったということです。これは、「男性の」女性蔑視とは限りません。女性であっても、結婚しない女性、仕事を続ける女性、子どもを持たない女性に対して同じようなことを考えている人たちも含んでいるし、実際セクハラやマタハラはマッチョな女性の方が、より辛辣です(友人からきいた話であって、幸い自分の職場ではそういうことはないのですが)。

 この国で、マッチョな論理を振りかざす人たちは、「国を維持するため」には子どもが必要で、そのためには女性に産んでもらわないといけないということには危機感を抱いているものの、根本的には「女性を支援しよう」とは全く考えていない。「国のため」には、労働者として女性も働き続け、子どもを国に必要なだけ産ませ、それがどんなに無理であってもその無理を強いようとする。あたかも「国を守るため」に国民に血を流させるように。私はそれこそが問題だと思いました。日本国民として肝に銘じておかなければならないでしょう。

 例のヤジは、もし自分に言われたとしたら、悔しくて悔しくてたまらないだろうなと思いました。自分も不妊治療をしてきたので。自分の仕事の場で、「他人の子どものことどうこう言う前に、自分の子ども育ててみろよ」みたいなこと言われるようなものですよね。実際、もう数年子どもができなかったら、諦めているところでした。そんな中で、自分の仕事を一生懸命やっている中で、そういうプライベートなことを言われたら、怒りと屈辱でいっぱいになるでしょう。件の塩村都議も、年齢的にいろいろと考えた上で、自分の仕事を全うしようとしていたのだと思います。自分の仕事で少しでも女性を取り巻く環境が向上し、子どもを産みたい人が安心して産めるような社会にできればと思って仕事をしてきたのではないでしょうか。そこに関してはわかりませんが、とにかく自分がプライベートを犠牲にして仕事に真剣に取り組んでいるところでプライベートなことを言われたら許せないと感じました。

 ただ、そういったものに対する抗議の仕方として、卵投げつけるのは違うと思います。誰かはわかりませんが、私と同じように怒りを感じた人であるなら、政治には政治で抗議しようよ、と言いたいです。

 そんなことを、考えていました。