教員。妊娠。出産。子育て。

高校教員として働く私の、妊娠、出産、子育て、勉強についての備忘録。

役得

この仕事を続けていて、他の仕事にはない役得があるなと思えるのは、入試問題を作れることと、この時期女子高生から手作りのお菓子をいっぱいもらえることです。授業担当にも律儀にくれる子。かわいいですね。気つかわなくていいよと言うのですが。

お返しを一応します。これは男子も大変そう。最近は男子も手作りするから恐れ入ります。

今年度最後の土曜日四時間授業の日でした。3年生の授業が完全に終わったので。毎度のことながら、四時間+ホームルームは本当にきつい。人間のやることとは思えない。できればもう一生やりたくないと思うけれど、こればっかりは運頼み。

寝かしつけ

はたしてこんなのでいいのだろうか?
という我が家の寝かしつけの変遷を書き残しておこうと思います。

我が家は…親はベッド、子はベビーベッドで今まで約一年半通しています。配置は、親のベッドの足元にベビーベッドを横向きにくっつけています。最近までは頭をベビーベッドに向けて、いつでも手を伸ばせるようにしていました。

生後0~3ヶ月
ひたすら抱っこ


夕方の沐浴後、抱っこをひたすらして、寝るのを待ちます。ゆらしながら、いろいろな歌を歌いました。
子どもは体が小さかったため、三ヶ月くらいまでキッチンでベビーバスを使って沐浴していました。お風呂上がりに授乳をして、寝るのを待つ、という感じです。

生後4ヶ月~6ヶ月
添乳を寝入るまで


シドニー滞在中でした。
まだ寝返りをしなかったのと、ベッドがキングサイズだったため、ベッドで添乳しながら家族三人寝ることができました。(それまでは子どもの体が小さくて添乳をしていませんでした)
夜も外食することが多くなってしまい、現地時間で夜の11時頃寝ることが多かったです。サマータイムもあったので、日本時間だと夜9時頃です。

7ヶ月~11ヶ月
哺乳瓶でおなかいっぱいにさせる作戦


日本へ帰国し、保育園へ通い始めました。2~3ヶ月くらいは母乳が出ていたものの、次第に出なくなったのか、飲んでいても怒るようになり哺乳瓶へと移行しました。
今思えば、昼間の保育園の哺乳瓶に慣れて、飲むのに力がいる、もしくは一度に出る量が少ない母乳は嫌になってきたのかもしれません。
入浴後、寝る準備をしたら、そのまま暗い部屋へ連れて行って200mlくらい飲ませていました。飲み終わって抱っこしていたら、寝たはずです。

しかし、これがあまり良くなかったらしく、助産師さんに怒られました。(※ちなみにスパルタ母乳指導で知られる日赤出身の、超ベテラン助産師さんで、ガチガチの母乳信者です。私も日赤で産んだので、相当感化されましたが、母乳育児に関しては諸説あり、この方の指導が絶対というわけでは当然ありません。)

寝る前にミルク200mlは栄養過多だったようです。しかし、仕事も始まっているので寝ないということは状況的に許されない中で、あまり普段と違う冒険はできません。いろいろ調べてみた結果、「ミルクの濃度を薄くしていく」という離乳方法があることを知り、一週間くらいかけて、通常の倍以上まで薄くすることができました。寝る前に水分をとるだけなら問題ないはず、という考えです。(一日のミルク摂取量よりも多くなりすぎなければ、薄める必要はなかったかもしれません)


12ヶ月~17ヶ月(現在)
抱っこして寝かそうとすると怒って暴れ、手でトントンもあまり受け付けない


この時期(現在も)は、あまり寝かそうとしていません。寝る準備をして、猫とお父さんにおやすみバイバイを言ったら、電気が少しもついていない暗い寝室へ直行して、おやすみねんねと言ってベビーベッドへ寝かせます。ちなみに、成長に合わせて高さを下げられるベッドなので、柵は立っても乗り越えられない高さになっています。そして、親も親のベッドに横になります。娘は、しばらくは立ち上がったり歩いたりアクロバティックな動きをひとしきりした後、パッタリと寝てしまいます。10~30分くらいですかね。昨晩は何やら機嫌が悪く、一時間近く泣いたりゴロゴロしたりしていました。

子守唄を歌ったり、ねんねだよ、と呼び掛けたりしながら横になっていると、だいたい私が先に寝てしまいます。親の反応がなくなると、子も諦めて寝るような気がします。

問題はその後。いかにここから自分を奮い立たせて復活を遂げるか、です。

起きられても眠くて何も手につかないことも多いけれど、片付けと明日の準備をしないといけません。洗い物は夫がやっておいてくれることも多いけれど、あてにしていたらガッカリする原因になるので、やってくれたらラッキー儲けものだと思っています。

あと、猫の世話は基本私の仕事になってしまいました。(夫が全面的にやってくれたのは妊娠中だけだったなあ…産後一ヶ月は本当にきつかった)

以上、寝かしつけとはいえない我が家の寝かしつけでした。(最後は愚痴ですすみません…)

春節

今となっては昔のことですが、去年の今頃はシドニーにいたのだなあ、としみじみ思い出します。

今日は春節ですね。旧正月。

シドニーでは、宿が中華街に近かったこともあり、アジアの旧正月文化を初めて目の当たりにしました。そこらじゅうの街角で獅子舞が舞い、爆竹の音が響き渡りました。

オーストラリアはやはりアジアの一角。各ショッピングセンターも新年のお祝いムード一色、中国一色、という感じで、中国の勢いを感じました。やはりたくさんお買いものしてくれるのでしょう。

現地の中国系の人は英語が流暢ですが、観光客はそうとも限りません。私達一家も、同胞だと思われて道をきかれたり、ある時はヨーロッパ系のお店の人に、他のお客さんとの通訳してくれと頼まれたこともありました。

実は、私と夫の数少ない共通点(笑)に、第二外国語が中国語、というのがあります。二人とも授業で習っただけなのですが、この時「我々は日本人なので、中国語はできません。」と、そのお客さんに言えました(夫が)。そうかそうか、みたいな感じで笑っていました。

お店の人も間違えて申し訳ないという感じで謝られましたが、まあ普通区別できませんよね。私もヨーロッパ系の例えばイタリアの人かドイツの人かって、ぱっとは見分けられない自信があります。

そんなことも含めて雑多な文化に触れられたシドニーは大変だったけれど良い思い出です。







1歳4ヶ月になって

もうすぐ1歳5ヶ月です。
1歳と4ヶ月になってからの娘の変化です。

身長よりも体重の伸び

とにかく食べます。保育園でも驚かれています。食べ終わったらまだ食べてる子の分も欲しがるそうです。やめてほしいな~。

左手で食糧確保

食べるの大好き娘ですが、だいたい、好きなものをまず両手に別々につかみます。これは、好きなものが二つ以上あるときです(レーズンパン等)。そして、右手に持っている方を食べます。

少しかじっては他のものに持ちかえたりしながら食べます。左手のものには、口をつけません。いつ食べるかというと、出されたものを全部食べ終わった後なのです。これは、好きなものをデザートとして取っておいているかのように見えます。

ちなみに、車に乗っている時など、おやつを少しずつあげるときも、まず左手に持った後、右手に次のおやつを要求します。「先にこっち食べなよ~」と言ってみても、やはり左手のものには口をつけません。右手に渡すと食べ始め、それがなくなるとまた要求。「先にこっち食べなよ~」の繰り返しになります。それを何度か繰り返すと、左手のものにも口をつけ、おなかいっぱいごちそうさま、となります。

用心深いというか、食い意地がはっているというか…本当に、親に似すぎて悲しくなります…。

歌らしきものが歌えるように

まだ通して歌えないのですが、ピンポイントで歌えるところだけ、そのタイミングで声を出します。最近気づきました。

うちはある事情でプライム会員なのですが、最近、Amazonのプライムビデオで「まんが日本昔ばなし」をみています。

自分が小さい頃好きだったので、娘の夕食の準備中に、おんぶをしながら見ているのですが、エンディングテーマの「にんげんていいな」がお気に入りで、フレーズの最後の音だけ伸ばして歌えます。あと、「いいないいな~」と、最後の「バイバイバイ」のところ。手を振りながら言います。まあかわいいですね。

はとぽっぽも好きです。
「ぽっぽっぽー」はとぽっ「ぽー」
まーめがほしいかそらやる「ぞー」
みんなでなかよくたべにこ「いー」

という感じです(笑)。他にも、これ今まできいたことないんじゃないかな?という歌でも、親が歌うと最後の音だけ真似する時があります。

増えた言葉

はっきり使っているのはこのくらいです。

うん
そうなの
パン(レーズンパンのこと。他のパンは違うらしい)

あまり増えてはいませんが、それまで発していた言葉を使うタイミングが絶妙になってきました。
親が「あれ?」と何かを探していると、「ないの。」
先の「にんげんっていいな」の中で、「ねむるんだろな~」のところで「ねんね。」
など。思わず笑ってしまいます。

相変わらず、むにゃむにゃ何かしゃべっています。

産後三ヶ月間にお世話になったYoutube

娘は、最近すこしずつ、歌らしきものを歌えるようになってきました。それで思い出したことがあります。

産後自分を救ってくれたYoutubeについて、書こうと思って忘れていたことを書きます。



うちには、テレビがありません。

元々夫が捨てたがっていたので、出産前の引っ越しを機に、アンテナを繋がずにいたところ、生活の質が上がったような気がして、私も納得。そのままひとに譲ってしまったのです。

たまに観たいテレビ番組はあるのですが、本当に観たければ、今のご時世いくらでも観る手だてはあるので、特段不自由なこともなく、二年程過ごしています。

しかし、産後子どもの首が据わるまで、片手すら自由に使えなくなると、本も携帯も、パソコンも、ほとんど触れなくなってしまいました。そのくせ子どものために何かできるかといったら、たいしてできない毎日です。

それでも何かしてあげたかったのですが、例えば語りかけを毎日何時間もすることは難しく(モチベーション的に)、覚えている文章を暗唱してみたらなぜか泣かれる…ということを繰り返して参りかけていたとき、手放しでできること…そうだ歌を歌おうと思い、行き着いたのが、Youtubeでした。

まず、童謡を歌ってあげたくても、意外と知りませんでした。そこで、なるべく手放しでできることをと思い、子どもの昼寝中にコツコツYoutubeの童謡・唱歌動画をリストにして、自動再生し一緒に歌いました。こうすることで、パソコンの操作が最小限になります。他に子守唄用にポップスのカラオケも入れて練習してました(笑)

おかげで、童謡だけでなく「唱歌」も改めて知ることができて、勉強になりました。渡辺裕さんの『歌う国民』を読んでから、気になっていたのです。確かにむき出しのイデオロギーを感じないではないですが、古い日本語にも自然と親しめて面白いなと思いました。

今は、簡単な伴奏付きの楽譜を買って、親がピアノを弾きながら歌っています。



年末年始の娘の成長


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年末。実家の近所の公園にて。

地方都市のベッドタウンにありがちな、何のへんてつもない近所の公園です。しかし日曜日の午前中、他の子どもの姿は皆無。街の老化、を感じました。

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フェンスの向こうはグラウンド。

実家へ帰りました

年末、12月26日午前中だけ勤務して、午後から三日間実家へ帰りました。

新幹線は、姉とその子供達(6歳と4歳の女の子)と一緒に、三人席を一列確保。十分乗れました。

お昼御飯を食べ損ねたため、車内で食べました。一歳の子どもを膝に乗せていると、普通は食べられないのですが、姉がいると娘を抱っこしてもらえるので食べられました。よかった!

姉の子供達は、二人で一つの席に座ってサンタさんにもらったおもちゃで遊んだり、おやつを食べたり…すごいなーほとんど手がかからない。何でも全自動でやってくれるんだなあと感心(笑)。

このとき、上の子は娘をすごく可愛がってくれるのですが、下の子はまだ関わり方が分からない様子でした。これが三日間で劇的に変化したのだから面白いです。二日目には、買ってもらったばかりのおもちゃを先ず娘に触らせてくれるくらいになりました。これには感動。

公園遊びを本格開始

普段は、そもそも日中一緒にいる時間が少ないため、公園に遊びにいく、ということがほとんどできていませんでした。休みの日は、親の用事や買い物で終わってしまったり…。だからこの里帰りでは、家事や自分の用事は一切せず、子どもと遊ぶ!と心に誓って家を出たのでした。(子どもが寝たあとは年賀状)

これがきっかけで、外で思いっきり歩く楽しさに目覚め、保育園の園庭では出会えないいろいろなものに触れるきっかけとなりました。うちの子は、まだお外の散歩に出ていないようです。同じグループに、まだ歩けない子がいるからなのだと思います。

東京へ帰ってきてからも、外に出たくなると、玄関で「ないの、ないの、ない」と言いながら靴を探しています(笑)。靴は家の中に持ってきてしまうので、普段はしまってあります。最近、「ないの」が口癖の娘です。

おとーさんおかーさん

全くの親のエゴなのですが、我が家では、生まれてくる前から、子どもには「お父さん」「お母さん」と呼んでもらいたいね、と話していました。

「パッパッパパパ…」と発音練習?をするようになってからも、「まんま」をマスターしてからも、じっと我慢強く待っていました。その日が来るのを。時には誘惑に負けそうになりながら。

ある時、そのきっかけはやってきました。1歳2ヶ月くらいの時です。その日、夕飯の支度をするため、おんぶをしながら、100均で買ったディズニーのピノキオのDVDを観ていました。

物語のクライマックスで、ピノキオが「お父さーん!お父さーん!」(←ジュゼッペじいさんのこと)と叫ぶのですが(日本語吹き替え)、私も一緒に叫んでみると、子どもも続いて真似をしました。その後夫が帰宅するときにも同じように呼んでみたら、何となく理解したようです。

その後も父親を見て「お父さん」と繰り返したり、呼んだりしているうちに、時々声に出すようになりました。父親がいない時にも、「お父さんもうすぐ帰ってくるよ」と言うと、娘はいつも父親がいる場所を見ていました。

その少しあとになってから、土曜日、夫が娘と二人きりで過ごす日のことです。パパ見知りが出てきた娘は、朝母親が仕事に出たあとに泣き出して止まらなかったそうです。それはもうさめざめと泣くので、夫が「おかあさーんて呼んでごらん」と言うと、「かあ、さーん」と呼び続けたそうです…(涙)

そんなこんなで、一歳三ヶ月になってから「おとーさん」「おかーさん」が言えるようになってきました。朝方も、それまでは起きて皆が寝ていると泣いて親を起こしていたのですが、代わりに「おかーさーん」と呼ぶようになってくれました。(おかげでうちの猫の声と間違えそうになります)

しかもその呼び方が、なぜか裏声で高いのです。まあかわいいです。これも一年三ヶ月我慢したからこそ味わえる喜びといえるでしょうか。あまり人様におすすめはしませんが…。


結論

小さな子にとっては「パパママ」の方が呼びやすいが、それに反応するのをぐっとこらえて待てば、「おとーさんおかーさん」と呼んでくれるようになる。