教員。妊娠。出産。子育て。

高校教員として働く私の、妊娠、出産、子育て、勉強についての備忘録。

退職しました。

私、本日付けで、10年間勤めた現勤務校を、退職いたしました。ワーママ脱落です。

 

一か月ほど前に、夫から正式に、今の仕事を辞めてくれないかという話があり、それは、二回目のプロポーズともいうべきものでした。

自分たちは、世間よりは割と早めに結婚したこともあり、この前結婚9年目に入ったのですが、その話を切り出した夫からは、婚約の時以上の本気を感じました。「もはやこれまでか」とは少し違いますが、「やっぱりか」というのが正直なところでした。

夫は、これからもっと仕事でチャレンジをしていきたい、だから、そのためには私に家庭生活から全面的に協力してほしい、ということなのです。

「あなたを支えることが、世界平和に繋がるということであれば、協力しましょう」

これは大袈裟ではなく、結構本気です。私はいつだって、自分の仕事も世界平和に繋がると思ってやってきました。夫も気合十分。もうこれは、腹をくくるしかない、そう感じました。

私は夫との結婚を、「安定志向に傾きがちな自分の人生に風穴を開け、自分を思いもよらない所へ連れて行ってくれそうだ」という直感で決めました。おかげさまで、夫には色々な思いをさせてもらいました。夫一人で会社を作って、たたむところまで見させてもらいました。生後4か月の娘を連れてシドニーで仮住い生活をし、その間海外で一週間母子家庭生活までしたこともありました。そして今回は、人生の大転機。

米国移住です。

今の会社の本社に採用され、転籍することになったそうです。

引越しはまだ少し先ですが…。

このブログも、妊娠中の2014年6月2日から1年10か月、記事はこの投稿でちょうど100になるようです。これまで読んでくださって、ありがとうございました。

 

ワーママ脱落、米国移住により、タイトルに伴わなくなりましたので、これからは新ブログを更新していくつもりです。もしお付き合いいただける方がいらっしゃいましたら、幸いです…。

新ブログは、こちらです(※まだ記事はありません)

nicota-in-us.hatenablog.com

 

それではひとまず、さようなら。

これまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

 

2016.3.31

にこ

 

 

教員をしていると新生児のお世話が苦ではない13の理由

誰に需要があるのかは謎ですが、出産後、自分が感じたことを記事にしておきます。

よくある育児雑誌の相談コーナーに寄せられるようなことを、自分はあまり悩まなかったなあと思ったのがきっかけです。

ひとくくりに「教員は」といっていますが、人間的に完成されていて勉強大好きな子どもたちしかいないの学校の教員には当てはまりませんので、ご了承ください。ちなみに、私はこの仕事を愛していますし、生徒も同僚も大好きです。それでもこういう状況です。

あくまで新生児期育児に関してです。
ついでに、各項目に少しコメントも。

  1. 子どもが逃げない
  2. 子どもが話さない
  3. 子どもが無気力じゃない
  4. 子どもに厳しくしなくて良い
  5. 予習・準備がいらない
  6. 仕事が中断されることに慣れている
  7. 食事が摂れない、摂る時間がないことに慣れている
  8. 睡眠時間が足りないことに慣れている
  9. 一方的な語りかけに慣れている
  10. 散歩ができる
  11. 買い物に行ける
  12. 昼寝ができる
  13. 子どもの責任は自分にある
以下、簡単なコメントです。


1.子どもが逃げない


新生児は寝返りさえしない、できないので、目を離したらすぐさま危険な目にあったり、やってほしくないことをする、ということはありません。ましてや逃げたり、来いと言っているのに来なかったりしません。

2.子どもが話さない


新生児は、何かあれば泣くだけです。何を考えているかわからずに悩むこともありますが、代わりに反抗したり、こちらが傷つくような言葉を吐いたり、人のいないところで陰口を言ったりはしません。ちなみに、どんなに好かれている教員でも必ず悪く言う生徒はいます。教員は、人間扱いされないことは割と慣れています。親ではないものの、「親や教師」みたいな言い方をされて、憎悪や甘えの対象になるので、厄介です。教員は、そういうのを楽しめる人じゃないとできない仕事といえます。

3.子どもが無気力じゃない


新生児は何もできません。しかし、何もらやない、というのとは違います。新生児には希望を感じます。

4.子どもに厳しくしなくて良い


新生児にはまだしつけは不用、らしいです。しつけを始めるのは一歳になってから。それまでは、とにかく優しく接するだけ。これはある意味楽です。「叱る」というのは、かなりのエネルギーを要します。ましてや他人に対しては尚更です。適当に良い顔だけしておくのは楽で好かれるのですが、それは教員の仕事をしていることにはならないと思います。しかし、バランスも大切なのでさじ加減が必要です。新生児には、そういったことを一切考えずにただ仏のように接すればいいだけです。

5.予習・準備がいらない


育児の勉強は少しはしましたが、授業と比べると精神的圧迫が全く違います。毎年同じ事をやっていても良い教科や、やっている教員もいますが、自分にはそういうことはできなかったので、毎日緊張の連続でした。

6.仕事が中断されることに慣れている

育児は、やろうと思っていたことが子どもによって中断されるから、うまく進まないし達成感が得にくいのだ、という言説をよく目にするのですが、それは教員をしているとよく感じたことでした。逆にいうと、他のことに邪魔されずにできる仕事があるなんて羨ましい、朝はメールチェックから始まり、その日の自分のスケジュールを組み立てて進められるなんて、それはさぞ捗ることだろうと思ったものです。

7.食事が摂れない、摂る時間がないことに慣れている


授乳して寝かして洗濯して…とやっていると、食事をする暇もとれませんが、赤ちゃんは必ずどこかで寝てくれます。たとえ午後3時頃になったとしても、抱っこしながら立ったままでも、食べられる時にあるものを食べればいいのです。これは、毎日一時間近く昼休みがあり外に出てランチをしていたという人には耐えられないのかもしれませんが、昼休みに面談をしたり、生徒がひっきりなしにやってくる職員室でサンドイッチを飲み込んでいた教員には余裕です。

8.睡眠時間が足りないことに慣れている


遅寝、早起きが身についている教員にとって、たとえ睡眠時間がこま切れになろうとも、朝の支度をゆっくりできて、昼寝も許される産休育休中は余裕です。

9.一方的な語りかけに慣れている


教員は、問いかけても反応がない、自分の話に興味がある人間がその場に1、2人、場合によっては0という環境で話をすることに慣れています。だから、新生児が笑わない、反応がないのにも気にすることなく話しかけ続けられます。ただし、何か話をするきっかけや題材がほしいものです。(絵本など)

10.散歩ができる


晴れた日は外へ出て散歩ができます。これは子どもにとっても親にとっても精神衛生的に良いです。

11.買い物に行ける


人で混まない平日にお買い物に行くことができます。これは、親にとっては精神衛生的に良いです。

12.昼寝ができる


8でも書きましたが、たとえ睡眠不足でも、眠ければ子どもと一緒に昼寝をすればいいので楽です。実際は寝なくても、「いつでも寝られる」と思うことで気が楽になります。

13.子どもの責任は自分にある


最終的には、子どもの責任は自分にあるので、自分でやってあげたいことの中からやることを決められます。他人の子どもの相手をするのと、決定的に違うところです。他人から要求されたり苦情が来ないかとおもんばかりながらしなくて良いので、楽です。


書き出してみての所感


自分の仕事に感じていた困難の多くは、ティーンネイジャー育児について言えることなのかもしれません。何せ高校生相手なので。新生児とは違いますよね…。

でも、ああ、同じだなと感じることも実はあるのです。だから、教員をやる人には、やっぱり子どもを持つ女性も必要だと思います。働き続けられる仕事であることは、子どもにとっても必要なことだと心から思います。

新生児期育児を軸に、教員の仕事を考えてみる。

産後3ヶ月までに思ったことで、文字にするのを忘れていたことを書き残しておきます。

新生児のお世話の大変さは世間で言われている通りですが、よく「父親の仕事より大変」的なことも書かれたりしていますよね(父親の立場から)。
私は一般企業で働いたことがないのでその辺はよく分かりませんが、教員は一通りやってきたので、それと比べてこう考えました。

新生児期育児をしてみて思ったのは、「大変だけど、あの日々に比べたらまだましだな」ということです。

仕事の大変さでいうと、
(前提: 文系主要教科、週17コマ授業、教科書3種類以上)

担任補習部活持ち>新生児期育児
≒担任なし部所付き部活無し残業有り
>担任なし部所付き部活無し残業無し(現在)
>非常勤
となります。ちなみに、新生児期育児は24時間、仕事は帰宅してからの家事育児負担は除外して、単純に労働部分だけと比較しています。

担任持ちフルタイム残業∞の時が一番苦しかったですやはり。肉体的にも、精神的にも。新生児期育児はそれよりはましで、子ども一歳になって離乳してからは、フルタイムで働いても担任とか無いので、もっと楽です。

育児は24時間、といっても、他の仕事に追われながら迫り来る授業へ向けて予習もコメント書きもしなくていいし、何時間も大声出さなくてもいいし、やらない生徒や余計なことをする生徒をを叱らなくていいし、メンタルヘルス系のケアや親への対応に苦慮しなくてもいいし、とにかく毎日気が楽(相対的に)。

この辺はまた別の記事にしたいと思います。

そんなにいうならこの仕事向いてないんじゃないの、とも思われますが、逆に毎日緊張感持っていない方がこの仕事は危ないと思います。

子育ては、親は自分、というところが自分の仕事との最大の違いです。この感覚は、教育関係者以外はあまり感じないところかもしれません。

ところで、人生の転機がやって来ました。
詳細はまた落ち着いたら書きたいと思います。

役得

この仕事を続けていて、他の仕事にはない役得があるなと思えるのは、入試問題を作れることと、この時期女子高生から手作りのお菓子をいっぱいもらえることです。授業担当にも律儀にくれる子。かわいいですね。気つかわなくていいよと言うのですが。

お返しを一応します。これは男子も大変そう。最近は男子も手作りするから恐れ入ります。

今年度最後の土曜日四時間授業の日でした。3年生の授業が完全に終わったので。毎度のことながら、四時間+ホームルームは本当にきつい。人間のやることとは思えない。できればもう一生やりたくないと思うけれど、こればっかりは運頼み。

年末帰省によって、娘の公園遊びが本格化

新年明けました。旧年中は皆様から様々な気づきや知恵を頂き、海外生活や保活や産休からの職場復帰などを乗り越えることができて、実り多い一年となりました。

私もどなたかのお役に立てるような投稿をしたいなあと思いながらも些末な事しか書けませんでしたが、ブログが日々の自分の行動を意味あるものにしてくれている気がします。

自分はfacebookではなくて、ブログが好きなんだなあ、としみじみ思います。顔見知りの友人達に向かって、「ねえねえこれ見て!知ってる?」というほどのことではないけれど、名前も顔も知らないけれど、その情報を知りたいと思っている人、参考にしたいと思っている人、反面教師にしたい人、などへ届く可能性が残されているということは、夢があります。

前置きが長くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。


私は明日から本格始動という、ゆるゆるな年末年始を過ごさせていただきました。
これも娘がいるおかげだなあ。生まれてきてくれてありがとう娘。

年末の著しい娘の成長ぶりについては、次に書きたいと思います。


人見知り再び

三日前くらいから、娘の人見知りが再び激しくなってきました。

今度は、父親もだめなのです。だっこされると大泣き。父親と二人きりにされるだけで、号泣しながら母親の後を追ってきます。

父親だけではなくて、先日よくなれているはずの保育士の先生にも、受け渡した瞬間泣いていました。再びの人見知りなのでしょうかね。

夫は、子どもが生まれる前から育児をする父親になると宣言しており、お父さんではだめ、という子どもにさせないようにそれはそれは努力してきたのですが、いかんせん以前に書いたように、平日の育児は基本的には母親。父親は激務のため、土曜日も最近は保育園に預けていました。

それでも今週は一緒にお風呂に二回も入ったというのに…。それだけに夫のショックは相当なものでした。

今日も保育園…なのですが。母親の出勤時間が平日よりも早いため、父親が預けに行くのですが、保育園に行くまでの時間を泣かずに過ごせるのか…と心配していたら、案の定今朝号泣していました…。

父親も風邪気味で体調悪いので、顔が暗い。(よけい泣いちゃうよ…)

そもそも家で半袖Tシャツで過ごして「なんか寒い」とか言ってる時点でおかしいと思ったのですが、それを指摘すると「暖房つけてて昨日までは寒くなかった」と反論(?)する始末。寒かったら何か羽織って下さいよ。それだけ言っておきました。

それで鼻水出て体調悪いと言われても…つける薬がないとはこのことか。まあ仕事が忙しすぎなんでしょう。夫は自分よりよっぽどものも知っていて尊敬できるのですが、節々で小学生男子のようなところがあるのです。だから、「大きな小6男子だよね(日能研とかに通っている)」と本人にも言っています。

さて、成績も無事出して成績会議の今日。娘はご機嫌を早く直してくれるかな…。

一歳三ヶ月になって

ここのところの仕事の激化(主に入試業務)で、あまり記録できていませんでした。2学期もあとひと踏ん張り。成績出しまで頑張ります。

とことこ歩く

歩き方が安定してきて、保育園での外遊び用の靴を用意してくださいと、ついに言われました。ここに来るまで長かったなあ。家用のはもう買ってあるのですが。ちょっと大人になった気分…。

手遊び大好き

思えば、初めて子どもに買ってあげたのは、わらべ歌の絵本でした。(いつか記事にしようと思って忘れていましたが、いつか詳しく書けたらいいなと思います)

一時ほとんど開きませんでしたが、最近またよく持ってくるようになりました。
保育園で教えてもらったらしい、「大きな栗の木の下で」も大好きで、歌ってあげると、満面の笑みで手を頭の上にやるのですが、腕が短くて頭のてっぺんにまだ届いていないのがどうしようもなくかわいいです。
「これくらいのお弁当箱に~」というのも大好きです。絵本をみながらやっています。

増えた?言葉

ないな~い(お片付け)
ない!(スープが)
たっち(触る)
たった(立った)
めんめ(目)
みんみ(耳)
いち(一?)

名前を呼んだり、「~~な人?」ときくと、すかさず「はい!」と良いお返事をしてくれます。かわいいし面白いので、ついついいろいろ言って遊んでしまうのですが(※主に夫が「三度のごはんよりお父さんが好きな人!」「そんなことはどうでもいいから早くごはんが食べたい人!」などときくと、間髪を入れずに「はい!」と言ってくれる)、本当にかわいいです。

「(娘)ちゃん語」を話す

先週12月7日(月)あたりから、今までとは明らかに違うしゃべり方をするようになりました。何かを一生懸命話しかけてくるのです。でもよくわかりません。保育園の先生は、それを「(娘)ちゃん語」と名付けてくれました。

何か正体のよく分からないものが、名付けられることによってその存在を開始する、というのは、言語論でよく言われることですが、娘のこのよく分からない喃語を「(娘)ちゃん語」と名付けてもらったことで、ああ、彼女の中には何か訴えたいことがあって、一生懸命自分の言葉で伝えようとしているのだなあ、という認識が自分の中に形成されました。

年末に向けて

今年も新幹線で実家まで娘と二人で帰ろうかと考えています。主に私がのんびりするためです。あとは、田舎の広大なグラウンドで娘を思う存分歩かせてあげたいです。姉とその娘ちゃん達と都合が合えば、同じ列の座席をとって、一緒に帰れたらいいなあと思っています。今年は授乳がないから、楽だなあ…。